雑踏のむこう  MOKOMO 作  page 2/2



  二

ぱっと車内の蛍光灯が白い光から暖色に一斉に切り替わった。

向かいの席にはさっきみた猫がいて、無心に眺めていたら、きょとんと首をかしげた。


「私ね、猫、好きなんだぁー。学校から帰ると毎日庭で遊んでるんだよ、頭をなでたり持ち上げて抱っこしたり。猫じゃらしでいじったり−−。」ミユキはときどき、くすぐったいような笑みを浮かべながら話す。

「私ね、猫と戯れているときだけ、私が私でいられてるって。そんな気がするの。」
ミユキは猫を撫でながら言った。とても寂しそうに。うつむいたまま。


記憶を失ったのはその頃だ。

その日もミユキは帰ると猫とじゃれあっていた。
異変に気付いたのは夕暮れ時、母親が庭にミユキを呼びに出たときだった。
「ミユキ!」
呼び掛け、揺すっても返事がなく、ミユキは猫の横で倒れていた。猫はひたすらミユキの頬を舐めて続けていた。


病室のベッドで彼女は眠っていた。母親は花瓶の水代えに席を外していて…。

彼女は目を覚ますとこういった。
「私の知らない人。誰?」

ミユキはこんなところで冗談は言わない。

「美幸。」僕はどうしたらいいのだろう。どうすれば。どう−−。


"突然"とはこの時のためにあった言葉なのかもしれない。それに、"誰?"も。

その日はやけに静かだった。密閉された空間の中にいるようで息苦しくて、なにか物足りない静けさが僕を支配していた。


ミユキはいつもつまらなさそうにしていた。10分間の休み時間、彼女は席についたまま机に片方の耳をあてるような格好で片腕をぶらぶらさせていた。またあるときはベランダで壁にもたれて三角座りをしていたり。廊下では窓の外をぼーっと眺めていた。昼休み、弁当を食べているときも風にたなびくカーテンの横で一人空を眺めながら。

そう、ミユキは両親が離婚してからこんな感じで毎日をおくっていた。


僕は、何をしてやればよかったのだろう。なにか助けられる方法があったのか?なぜ僕は気付いてやれなかったのだ?

「じぶんはなぜここにいる?」

ミユキのなかにもう僕はいない。

「ここに、ミユキはいない。」

いや、でも。



ふっと。独特の轟音が鼓膜を震わす。視界は元の地下鉄に戻っていた。明るい車内では向かい側にいた猫はいなくなっていた。

「眠っていたのか。」


体の感覚が戻ると右肩が重いのに気がついた。そのままに、右側をみると女の人がもたれかかっていた。

「何か、この女の人に言わなければ。」

眠りの記憶が急速に薄れていく。


忘れるな、忘れちゃだめだ。


「大事なことを。」
















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